本年の春節を、わざわざ北京で過ごしてきた。理由の一つは、12年ぶりに許可が下りた北京の爆竹光景を見ることであった。一昔前、北京での春節には爆竹がつきものであった。例年旧暦大晦日の零時寸前になると一斉に爆竹が鳴り始め、全北京市が熱を帯びて沸き立つ。その轟音に耐えられないという人もいるだろうが、私には実に心地よく、しかも何とも言えない心強さを覚えるものであった。
 1993年から、北京市では春節の爆竹が禁止された。原因は事故による死傷者が多く出たこと、大気汚染とゴミの堆積など衛生環境を悪化させることなどによる。このため、数少ない省・都市を除いて、多くの都市が北京に倣って禁止政策を採った。

 「爆竹を鳴らさないと春節の雰囲気が出ない」と、禁止都市の市民からは不満の声が年年高まり、今年ついに解禁となった。もう一度あの爆竹で包まれた北京の夜景を見たい!この強い気持ちが、わが身を北京に飛ばせたのである。

 大晦日は、 夕方頃から爆竹がかなり激しく鳴り響き始めた。夜11時半頃からクライマックスに入り、0時を挟んだ10分前後の計20分間が最高潮となる。今年は単に爆竹だけではなく、花火が空高く打ち上げられた。決まった地点から打ち上げられる花火大会とは異なり、四方八方からヒューッ、ヒューッと満遍なく放たれるのである。それは正に大衆の歓喜、力強さ、新年への期待の思いそのものなのである。私は期待通り、いや、期待以上の感銘を受けた。聞けば、花火はかなり高価だとか。北京の人びとの豊かさが身をもって感じ取れた一瞬でもあった。

 タクシーの運転手さんに、爆竹を放ったかどうかを聞いてみた。一家揃ってやったとのこと、そこでどのくらいお金を使ったかと聞いてみた。自分の母親が孫に当たる息子に買ってくれたので、いくら費やしたかは知らないという言葉が返ってきた。12年間の禁止で爆竹を放ったことのない孫に、リタイアした祖母が「お年玉」として爆竹を贈る姿が浮かんでくる。

 北京市民は爆竹と花火で春節の喜びを満喫した。この私は一銭も使うことなく、安定門の自宅の10階ベランダから北京市中心部を眺望し、市民の歓喜に包まれた北京の除夜を体感したのである。

 一方、春節を飾る花火と爆竹の陰には、安全確保のための、多くの人たちの並々ならぬ労苦があった。

 北京市は1993年に「北京市の煙火(花火)爆竹禁止に関する決定」を出した。2005年、「北京市煙火爆竹安全管理規定」を制定し、禁止令に終止符を打った。2006年1月21日には、国務院が「煙火爆竹安全管理条例」を公布し、爆竹使用の許容範囲を全国的に広めた。但し、この規定と条例によって、花火・爆竹の使用は場所、時間、品種の3つの制限が施された。北京市では3万箇所が禁止区と指定され、許可された場所のみで点火するよう定められた。使用時間帯としては、 大晦日は24時間使用可能だが、その他の14日間は0時から6時までは禁止とされた。人々の睡眠を妨げないためである。花火爆竹の種類は658種に限られ、危険性のあるものは禁じられた。

 また爆竹の生産や流通面でも厳しい規制が設けられた。「安全生産許可条例」が公布され、花火爆竹の質の保証、監督の強化などの策がとれらた。流通面では、販売店を指定し、それぞれに粗悪爆竹を販売しないよう責任を取らせた。またマスメディアを通して、花火爆竹購入面での注意事項を一般市民に徹底させた。

 北京衛生局は「花火爆竹障害応急予備案」をつくり、北京市の各病院が爆竹花火による負傷者への応急措置に万全の策を講じるよう指示した。消防隊は2級戦備体制で、 火事発生時に備えた。 警察3万人、 武装警官5000人、 市民28万人を動員して、警備に当たらせた。このような努力が功を奏し、死者はなく、入院者は北京市全体で112人にとどまった。また2万人の清掃員が夜中の0時後から朝6時まで発奮して、あとに残された膨大なゴミを清掃し終えた。全北京市は清潔で清々しい旧正月を迎えることができたのである。

 このような労苦を知るに至り、私は除夜に覚えた感動が更に一層深まるのを覚えた。
(つづく)