中国映画研究家で字幕翻訳家の森川和代さんを偲ぶ会が小口禎三、加藤正人、韓慶愈、熊井啓、佐藤純子、高野悦子、田中脩二郎氏らの呼びかけで1月28日、日中友好会館地階・豫園で開かれ、日中映画や日中友好団体関係者、在日華僑ら百数十名が出席し、森川和代さんの逝去を悼むと共にありし日の森川さんに想いを寄せた。
森川和代さんは昨年の11月24日骨髄腫で逝去。享年76歳だった。
偲ぶ会には夫忍さんと長女京子さんが出席し忍さんが病いとの永い闘いについて語り出席者の涙をさそった。
森川さんは東映の美術部員だった父和雄氏に連れられ日本敗戦濃厚な1944年15歳の時旧満州に渡る。翌45年に日本敗戦後、中国共産党下で新生なった中国映画の製作を手伝う。後内戦が激化し、森川さんは中国人民解放軍の前身の「東北民主連軍」で日本人看護兵として働く。日本に引き揚げたのは1953年24歳の時。
帰国後、「中国俘虜殉難者慰霊実行委」の一員として中国人の遺骨送還や日中貿易の促進、「中国残留日本人孤児」の訪日調査通訳、日中映画人の交流に尽力し、また「東風新聞社」編集者として活躍した。
こうしたかたわら森川さんは中国映画研究書「中国映画史」(平凡社刊)を編集翻訳した。森川さんはまた自費で「中国映画消息」を配布、日中友好に大きな役割を果した。こうした功績もあり、昨年文化庁映画功労賞が贈られた。
偲ぶ会には夫忍さんと長女京子さんが出席し忍さんが病いとの永い闘いについて語り出席者の涙をさそった。
森川さんは東映の美術部員だった父和雄氏に連れられ日本敗戦濃厚な1944年15歳の時旧満州に渡る。翌45年に日本敗戦後、中国共産党下で新生なった中国映画の製作を手伝う。後内戦が激化し、森川さんは中国人民解放軍の前身の「東北民主連軍」で日本人看護兵として働く。日本に引き揚げたのは1953年24歳の時。
帰国後、「中国俘虜殉難者慰霊実行委」の一員として中国人の遺骨送還や日中貿易の促進、「中国残留日本人孤児」の訪日調査通訳、日中映画人の交流に尽力し、また「東風新聞社」編集者として活躍した。
こうしたかたわら森川さんは中国映画研究書「中国映画史」(平凡社刊)を編集翻訳した。森川さんはまた自費で「中国映画消息」を配布、日中友好に大きな役割を果した。こうした功績もあり、昨年文化庁映画功労賞が贈られた。