慌ただしい入出境手続き
 3月23日早朝娘に京成上野駅迄送ってもらう。ホームのベンチには早くも神保町のFさんが座っていた。成田第二待ち合わせ場所にも何人か連れ立って待っていた。いざ出境。機内の後方は空いていたので、それぞれが、ばらばらに散らばる。総勢23名無事に帰還できるや否や。
 廣州白雲国際空港へ到着。早速、市内観光。まずは中山記念堂を見学。 86年に南京の中山記念堂は見学出来ましたが、04年の台北中山記念堂は残念ながら不可能でした。

 次に、西漢南越王博物館を見学。閉館間際にもかかわらず、職員の懇切丁寧な説明があったのはその後の購買意欲をそそるものでもあった。

 食は廣州にあり、期待を胃袋に秘めて、いざ食さん。ややあっさり味の物足りなさを感じた。

 急ぎ白雲国際空港へ。午後7時過ぎの出境、若い職員との会話で
◎日本生まれなのになぜ中国パスポートを所持しているのか?
◎日本で生活しているのになぜ国語が話せるのか?
等の可愛い珍問答が交わされた。

 最終便に近い機内は満席で、小雨降るハノイ・ノイバイ国際空港へ到着。午後10時 (日本との時差2時間)香港資本合弁のハノイホテル(河内酒店)へ無事着泊。

 深夜のミーティング招集がかかり、 ホテル内の食堂で軽く4人で私待望の地ビールと地おかずで舌鼓。ベトナムのドイモイ政策のせいか、地元の若者たちや多分フィリピンのショービジネスの若者たちが仕事後の遅い食事を取り、店内は賑わっていた。


ハロン湾とバチャンやき
 早朝6時(日本時間8時)のモーニングコール。8時世界遺産ハロン湾へ約3時間の行程。桟橋には数多くのジャンクが停泊し、ご一行様は40人乗りのジャンクを貸し切り乗船。華聯旅行社のご厚意で豪華な昼食。それにも飽き足らず船上生活者の生け簀へ食材探し、シャコ・アオリイカ・ハマグリとアサリの合いの子(ゲウ・ハップ・サー)・伊勢エビ・兜ガニ・エビ・赤貝等など数え切れず。アオリイカを網であげる瞬間、白衣の船員たちが退き、遅れた私はズボンとスニーカーに墨の一撃を喰らった。

 食べる事はさておき、一歩外海の景観は桂林の景色よりも広大で、離れ小島が点々と散在し、その鍾乳洞は私がかつて見た武夷山や済州島のそれよりも遙かに凌いでいるのではなかろうか。道中、豪州・韓国・国内の観光客と出会った。

 再び船上に戻ると、ご厚意による生け簀食材が待ち受け、河内ビール・タイガービール・バーバーバー(333 ビールをお供に余す所無くご一行様は船上クルーズを楽しみました。お蔭様で帰りの車内は私をはじめ何人か膀胱破裂寸前の憂き目に遭遇。

 夕食は仏料理風ベトナム料理屋(フランス人が残したビラ)。中華料理のイメージが強い。その近所の酒屋で我が妻が地ビールを調達、秋葉原のHさんの要望で、華聯配慮の次の間つきの私のルームで夜総会。

 25日アオザイ仕立ての土産物店(韓国資本と思われる)へ立ち寄り、適齢者が採寸。生地や仕立て上がりを考えると、本人直行が望ましい。昔のお嬢さん(我が妻) は無理かも?

 ハノイ市内の繁華街通りは出勤時間帯に遭遇し、交通信号機の設置場所が少ないせいか、オートバイと自転車が入り交じり、台北のそれと同様、2人乗り3人乗りは当たり前、信号機の無い交差点での横断は至難の技を必要とする。それを横目で見ながら、ホーおじさんの眠る記念廟へと到着。この周り一帯は「胡志明主席故居」遺跡として残され、主席府紀念館や国会議事堂等で囲まれている。次に訪れたのが、文廟で国士監とも言う。ベトナムで最初に開かれた国立大学とのこと。

 昼食はベトナム料理のバイキング、ゴーイクオン(生春巻き)からソーフエッヌオン (赤貝の焼いたもの)まで多種多様、食後のコーヒー、ケーキ、フルーツも色々。私は地ビールで赤貝やガツをお供に腹十二分に飲み食べ捲りました。この日のスケジュールは忙しく、バチャン(焼物の里)の工房見学と買物。それぞれが何点か買い求め、なだらかな田園風景や小川のほとりで寝そべる水牛を車窓に見ながらスヤスヤと一時の休息。(筆者は東京華僑総会理事会議長)