華僑子弟教育に大きな貢献

 療養中だった横浜山手中華学校の元校長、現横浜華僑総会顧問の烏勒吉氏が老衰のため三月三日朝逝去された。遼寧省寧城県出身、享年八十五歳。
 葬儀・告別式は三月五、六日、横浜市中区吉浜町の「みなと斎場」で厳かに執り行われ、山手中華学校と横浜華僑総会および北省同郷聯合会の関係者、教え子である中華学校の校友生や故人とゆかりの僑胞、友人多数が参列、烏氏の逝去を悼み、その冥福を祈った。喪主は夫人の呉玲瑜さん。

 中国大使館の于淑媛参事官兼総領事および東京華僑総会の符易亨会長も葬儀に参列して哀悼の意を表すとともに玲瑜夫人を慰問した。葬儀には国務院僑務公室、外交部領事司、北京華文学院など国内関係部門から弔電が寄せられた。

 烏氏は一九二二年、遼寧省寧城県に生まれ、四四年一月に留学生として来日、岩手県の盛岡農林専門学校(現岩手大学)に学び、五〇年七月横浜中華学校の教師として赴任し、教務主任、代理校長を歴任。五二年に国民党と日本官憲が引き起こした華僑子弟の民族教育を破壊する学校事件では、敢然として華僑子弟の民族教育を守るため先頭に立って奮闘した。

 その後、在日華僑にとって最も困難な時代にあって五二年から七二年までの二十年間、横浜山手中華学校の校長として、在日華僑子弟の教育と山手中華学校を守り発展させるため日夜心血を注ぎ、今日の山手中華学校発展の礎を築いた。

 七二年、定年により校長職を退いてからは、横浜華僑聯誼会の副会長として活躍。同年の留日華僑第二回国慶節祝賀代表団には副団長として祖国を訪れ、北京の人民大会堂で周恩来総理の接見を受けた。

 聯誼会が横浜華僑総会へと移行したのちも同会の副会長、顧問として引き続き華僑の愛国団結と中日友好事業の発展に力を尽した。

 華僑の民族教育と愛国団結、中日友好のため生涯を捧げた烏勒吉先生、どうぞ安らかに!