全日本華僑華人中国平和統一促進会は辛亥革命100周年を記念して、7月23日午後、東京華僑会館で第三回目の学習会を開いた。
先ず張紀潯・城西大学教授が「辛亥革命と中華振興」をテーマに報告した。辛亥革命は短期的には五四運動と共産党の誕生に影響を与え、中期的には抗日戦争、新中国の誕生、改革開放政策にも影響を与えた。今後100年は、中国が経済大国、政治大国になる中、辛亥革命の中華振興面での意義は極めて大きい。ハードパワーとソフトパワーの両面から中華振興を考え、辛亥革命の精神に学ぶべきだと強調した。

次いで、劉傑・早稲田大学教授が「辛亥革命と国民党――歴史研究と歴史認識の視点から」と題して報告し、先ず中国の歴史学界が客観的資料を重視した研究に転回しつつあることを述べた。周恩来の指示によって1960年から編集されてきた「文史資料選輯」が、このような研究に大変重要な役割を果たしていることも強調された。また、新しい動きとして「中華民国史観」(時期は1912年から1949年まで)が提起され、国民党支配時代の研究も盛んになっていることが紹介された。最後に、辛亥革命と日中関係に触れ、大変興味深い資料と視点を提示された。

辛亥革命が起こってから18日過ぎた後、在清国公使伊集院彦吉が内田外務大臣宛に、次のような電報を送った(1911年10月28日)。中国の混乱を利用して 「華中と華南に二つの国家を起し、華北は清朝廷に引き続き統治させる」、そうすれば「華北の一角に清朝が存在し、永く漢人と対峙させることになり、日本にとって得策である」。また伊集院の10月27日付日記には「清朝のシナ四億人を統御する実力威望は到底望めない。各地の変乱はますます拡大しているから、結局、清国の秩序は乱れ、他力を借りなければ救済の道はないであろう。この機を利用して、清国の人間に分割する手段方法を講じる必要があると本省に電報した」と書かれている。辛亥革命を巡る日本政府の対中国分割政策は、1920〜30年の満蒙政策とも相通ずるものがあり、深く考えさせられると劉教授は熱く語った。

なお、この資料は劉傑教授が自分で発見し取り上げたとのことである。

三回にわたった六人の講師による学習会には、延べ約100人の出席者があった。