張家港市東渡苑風致区の鑑真記念堂広場で、11月16日「鑑真大師公祭典礼2011」が開催された。公祭典礼では主祭の張家港市姚林栄市長が祭文を読み上げた。私は東京華僑総会と東京華僑婦女会を代表して花籠を献上し、中日両国の約1300人の関係者とともに袈裟をまとい、鑑真を祭った。張家港の子供たちと日本の華道家谷村晃甫女史は花籠を生け献花し、日本鑑真文化交流協会から東渡苑に「東渡宝船」の模型が贈られた。
西暦743年、鑑真は日本仏教界の招請に応じ、日本に渡って仏教の戒律を伝授する準備を始めた。それから十年間、さまざまな困難により、鑑真は五回の渡日に失敗した。753年11月16日、66歳になった鑑真は張家港の古黄泗浦で六回目の渡日を試み、多くの苦難を乗り越えて12月20日、日本鹿児島県南さつま市の秋妻屋乃浦に到着した。そこにも日本の鑑真記念館が建てられて、毎年偲ぶ集いが行われている。

鑑真は日本での十年間、仏法の教えを広めただけでなく、唐代の文字、絵画、書道、 彫刻、医薬、工芸、印刷、建築、飲食などの文化を日本に伝えたため、日本人からは尊敬をこめて「文化の恩人」、「戒律の祖」、「建築の父」、「医薬の聖」などと呼ばれている。763年、鑑真は日本で亡くなり、唐招提寺に葬られた。

今回参加された、奈良・唐招提寺の松浦俊海長老が鑑真を追想する所感として「鑑真大和尚は中日友好の先駆けで、彼の一生は人々のためにあった。今回、鑑真大和尚が日本への渡航に成功した六回目の航海の出航地を訪れることができ、感無量で有り、 毎年続けて公祭典礼が行われる事を念じる」と述べた。

これからも中日友好交流が更に発展するために、鑑真大師公祭典礼が続けられることを祈っている。