在日華僑の卓越した指導者として華僑各界はじめ中日各界友好人士からも尊敬を集めてこられた日本華僑華人聯合総会名誉会長、東京華僑総会名誉会長の陳焜旺先生が5月29日午後2時(現地時間)、山東省青島市の自宅で逝去された。台湾省台中県出身、享年98歳。陳焜旺先生は1923年11月28日、台湾省台中県に生まれ、1941年留学のため来日し、中央大学法学部に学んだ(1950年卒業)。
1945年中国留日学生運動と華僑運動に身を投じ、台湾学生連盟、中国留日同学会の成立に参画し、1948年には華僑民主促進会の創立にも尽力した。
1949年10月の中華人民共和国の成立時、留日華僑総会の新中国支持表明に加わり、また当時の日本の進歩的友人たちの日中友好協会成立準備活動にも協力した。
1950年、27歳の若さで東京華僑総会の副会長に就任した陳焜旺先生は、1951年、当時の国民党駐日代表団の生活苦にあえぐ僑胞を顧みない態度を痛烈に批判し、これが契機となり、その後国民党駐日代表団の東京華僑総会への不当干渉を完全に排除することとなり、広範な僑胞の陳焜旺先生への東京華僑総会の指導者としての信頼を高めた。
陳焜旺先生は在日華僑・留学生集団帰国及び強制連行の殉難烈士遺骨送還運動を指導し、1953年の第一次在日華僑・留学生帰国乗船代表として祖国を訪れ、廖承志・華僑事務委員会副主任と会見した。
以来、祖国訪日各代表団への接待協力、在日華僑の祖国への自由往来、出入国管理法案・外国人学校法案反対闘争、新東京華僑会館の建設、東華教育文化交流財団の設立、日本華僑華人聯合総会の成立、日本華僑・留学生運動史の発刊等々に力を尽くすなど、生涯を在日華僑への服務、僑胞の権益擁護、祖国の発展建設と祖国統一のため、中日友好促進のために捧げ、広範な僑胞の尊敬を集めてきた。
この間、1972年10月には在日華僑の慶祝国慶代表団を率いて北京を訪れ、周恩来総理の接見を受けた。
1982年から92年まで東京華僑総会の会長を、また1999年から2003年まで日本華僑華人聯合総会の会長を務め、生前まで両会の名誉会長の任にあった。
葬儀は6月1日、青島市にて厳かに執り行われた。

1945年中国留日学生運動と華僑運動に身を投じ、台湾学生連盟、中国留日同学会の成立に参画し、1948年には華僑民主促進会の創立にも尽力した。
1949年10月の中華人民共和国の成立時、留日華僑総会の新中国支持表明に加わり、また当時の日本の進歩的友人たちの日中友好協会成立準備活動にも協力した。
1950年、27歳の若さで東京華僑総会の副会長に就任した陳焜旺先生は、1951年、当時の国民党駐日代表団の生活苦にあえぐ僑胞を顧みない態度を痛烈に批判し、これが契機となり、その後国民党駐日代表団の東京華僑総会への不当干渉を完全に排除することとなり、広範な僑胞の陳焜旺先生への東京華僑総会の指導者としての信頼を高めた。
陳焜旺先生は在日華僑・留学生集団帰国及び強制連行の殉難烈士遺骨送還運動を指導し、1953年の第一次在日華僑・留学生帰国乗船代表として祖国を訪れ、廖承志・華僑事務委員会副主任と会見した。
以来、祖国訪日各代表団への接待協力、在日華僑の祖国への自由往来、出入国管理法案・外国人学校法案反対闘争、新東京華僑会館の建設、東華教育文化交流財団の設立、日本華僑華人聯合総会の成立、日本華僑・留学生運動史の発刊等々に力を尽くすなど、生涯を在日華僑への服務、僑胞の権益擁護、祖国の発展建設と祖国統一のため、中日友好促進のために捧げ、広範な僑胞の尊敬を集めてきた。
この間、1972年10月には在日華僑の慶祝国慶代表団を率いて北京を訪れ、周恩来総理の接見を受けた。
1982年から92年まで東京華僑総会の会長を、また1999年から2003年まで日本華僑華人聯合総会の会長を務め、生前まで両会の名誉会長の任にあった。
葬儀は6月1日、青島市にて厳かに執り行われた。
