2A-1鹿児島恩徳清明祭(21行)去る4月6日㈰、鹿児島市内の天保山公園に建立されている「中国人養父母感謝の碑」において、中国人養父母恩徳清明祭が日中友好協会の主催で開かれた。
この碑は2014年に中国で育ち、日中国交回復後に日本に帰国された方々を愛情深く育て、快く日本へ送り出してくださった中国人養父母の方々への感謝を顕すために建立されたもので、毎年4月の清明の日に催されている清明祭で、今年は中国駐福岡総領事館より、成岩副総領事ほか領事2名が参加し、献花した。

戦後80年の節目となる今年は、県および市の各日中友好協会関係者や自治体職員、鹿児島華僑総会の関係者、県内の残留孤児、中国留学生、華人など20余名が集った。鹿児島大学中国留学生学友会会長の陳氏が司会を務め、鹿児島大学に通う劉美佳子氏の二胡の演奏のあと、鹿児島県日中友好協会会長鎌田敬氏が挨拶を行った。

続いて、成岩副総領事が挨拶を行った。「2014年、鹿児島県日中友好協会、日本人遺華孤児鹿児島会など多方面の尽力により、 『中国人養父母感謝の碑』が鹿児島市の天保山公園内に建立され、今は中日両国の平和友好の象徴のひとつとなっている。鹿児島市日中友好協会の海江田順三郎氏、鎌田敬氏、鹿児島市在住の残留邦人鬼塚健一郎氏をはじめとする日本の友人の皆様が、長年にわたり中日民間友好のために、惜しみない支援と貢献を続けてこられたおかげです」と述べた。

次いで、旅日福建同郷懇親会福清大会に出席のため不在だった鹿児島華僑総会の楊忠銀会長に代わり、当日は高橋事務局長が挨拶文を代読した。

「在日華僑は清明の日は自分の祖先への感謝を込めて、お墓や仏壇等へお供え等をし、手を合わせる習慣があります。清明の日は日本全国の各地にあります中華墓地に大勢の方が集まっていると思います。

終戦後80年たった本日でも当時の養父母に対して深い感謝の心をもって、一同に会して『感謝の碑』にお参りされる事に、在鹿の華僑を代表して皆様への敬意と感謝を申し上げます。

今日の事を中国にいる養父母やその子供たち、関係者の方々も大変喜んでくださることと思います。
この地に戦後帰国された方が日中友好協会の協力のもと、中国人養父母感謝の碑を建立され、毎年清明祭が行われている事を鹿児島に居住されている方は勿論の事、全国の帰国された方やその子供達にも広く知らしめ、多くの方が参加され、盛大に行われ、中日友好の推進の一助になる事を祈念申し上げます、来年も是非お会いしましょう。」

その後、参加者が順番に花を手向け、中国人養父母たちに感謝の祈りを捧げた。献花は成岩副総領事を先頭に始まり、続いて鹿児島華僑総会の代表者も花を手向け、感謝の意を表した。

尚、中国人養父母感謝の碑の正面には次のような文章が刻まれている。
第二次大戦の末期、中国の東北部(旧満州国)においては、日本人成人男子が関東軍により、国境警備に動員され、住民の大半は老人と婦女子のみであった。このような状況下で終戦後は交通も途絶し、内陸部へ入植していた開拓民や残留邦人の祖国への帰還は困難を極めた。
混乱の中で家族が離ればなれになり、身寄りを見失った日本人の幼児は、多く中国人に引き取られ、その家族の養育を受けることになった。
戦後遅く昭和五十六年より始まった「訪日肉親探し」により、日本人の中国残留孤児二千五百名近くが帰国した。
帰国者の多くは言語や日本社会への適応など生活面で多大な苦労を味わったが、ともかくも、生き永らえて余生を祖国日本で過ごせる身の上を顧みる時、終戦当時に異国の孤児へ救いの手をさし伸べられた中国人養父母の慈愛の精神に対し、更めて深甚の感謝を表すと共に、日中平和友好条約締結三十五周年に当り日中友好の末永い存続を念願する次第である。

平成二十五年十月吉日
日本人遺華孤児鹿児島会
鹿児島県日中友好協会
鹿児島市日中友好協会


写真説明:4月6日、鹿児島市・天保山公園内の「中国人養父母感謝の碑」前で恩徳清明祭が行われた